闘病生活開始「急性骨髄性白血病」

2020年10月。闘病生活。それが始まったのはいきなりのことでした。

私は元々は海外でバリバリ営業してましたが結婚を気に退職。

2020年に出産し専業主婦をしていました。

専業主婦と言っても旦那は海外。私は里帰り出産で実家暮らしです。

子供を出産した後は時期をみて旦那の働いている海外で暮らす予定でした。

コロナで海外渡航ができないのでかれこれ6ヶ月日本に居て、今後の予定も立てれないまま日々を過ごしていました。そんな時、この病が見つかり長い長い闘病生活が始まりました。

せっかくなので、記録に残そうと思います。

育児に追われながらも日々の生活を送っていました。

ふと、脚や手を見たら内出血が、、

ぶつけてもいないのにアザが増えていく、、、

皮膚科にかかったところ、

1回目は若い女性はたまにあるから問題ないよーとの事でした。

いやいやアザはだんだん増えていくって事で再度皮膚科にかかりました。

2回目ではこれは異常だねっとのことで、大きい病院でみてもらうことに。

血液検査をして、、今日はこれで大丈夫です。次回血液検査の結果を伝えますので予約します。。

念の為携帯番号教えてもらっていいですか。

あれれ?体調は悪いのに。。

因みにその時の体調の異変はこちら。

  • 内出血 脚、腕、目の周り
  • アザが増えていく
  • 喉の痛み、リンパの腫れ
  • 口の中の痛み、出血
  • 右耳の違和感
  • 首のシコリ
  • 胃のむかつき、夜寝られない
  • 常にダルい
  • 頭痛
  • たまに貧血になる
  • たまに熱が出る
  • おしっこが黄色い

全て1ヶ月程前から自覚症状ありです。

まあ、しょうがないかとのことで、次回の予約を取り薬(頭痛の薬)を出してもらったので近くの調剤薬局へ。

プルルルル〜。

病院からでした。

「〇〇さんの携帯で間違い無いですか。近くにいらっしゃいますか。血液に異常な数値が見られるものがあるので、再度皮膚科に来てもらうことはできますか。」

その連絡を受け、すぐに病院に戻りました。

医師の話によると。

内出血は血小板の数値が低いこと。これは予想通りなんですが、白血球の値が異常に高いです。

今から血液内科の医師に診てもらってください。

全て段取りを手配してもらい血液内科へ。

そして私の番。

「あれ?お連れさんは?」

今昼ごはん買いに行ってます。。。

あれ、お連れさん?誰か一緒にいないといけない大変な病気なの?っと心で思ってました。

無事父親が戻ってきて、病気の説明へ。

簡単にまとめると、

「白血球の値を見ると通常の約20倍ありますね。これはガン化した血液です。今日から入院になります。」

その後、色んな詳しい話があったけど、貧血を起こしてしまい何も聞けず。。。

そのまま車椅子→ベットへ移動し、点滴、骨髄検査(マルク)。

ここで一応旦那にメールで報告。

落ち着いてきたら、尿検査、心電図、レントゲン、 CT検査、体重・身長測定などしました。

『次はカテーテル入れます。』

何か分からず車椅子で連れてかれると、簡単なオペ室。

腕にカテーテルを入れる手術を受けた。

(落ち着いた頃に資料を整理していたら手術の同意書が出てきた。

私がサインしたのか、親がサインしたのか覚えていない。)

部分麻酔の為先生の声が鮮明に聞こえる。

「血管細いね〜。ここかな。いやここかな。」

内心、怖い怖い怖い怖いって思ってた。

一回刺してみるかっとのことで、やってみたが案の定外れ、

再度抜いてカテーテルを差し込むことに。

次は無事成功。

何か痛かったし、変な感じだった。

変な汗かいた。

その後レントゲンを取り、オペ室を出ると

親、兄、子供が待っていました。

いつも通り会話をしていたが、私は貧血気味でボーッとしながら聴いていました。

そのまま、子供・親は触れ合いルーム。

私は車椅子の為父に連れられ病室へ。

姉から連絡が入っており

姉:「大丈夫ー?大丈夫じゃないよね。何でもいいから連絡してね。」

私:「実感ないから今のところ大丈夫。それより子供が心配」

姉:「母は強しだね!!子供はまだ母が居なくなっても分からない歳だから大丈夫だと思うよ。」

当時子供は生後6ヶ月でした。

この後少し姉と連絡を取ってました。

少し時間があった為、やっと旦那に電話。

メールではやりとりしていたが、病院の中ということもあり中々会話ができず。

やっとできました。

私:プルルルルルル。「もしもし。」

旦那:「ズゥン。もしもし。ズゥン。大丈夫なの?」

旦那、心配で泣いていました。

私:「大丈夫。これから先生が家族に説明してくれるとのことだけど、電話で参加する?」

旦那:「する。大丈夫なの?」

私:「大丈夫。じゃあまた後で電話するね。バイバイ。」プツン

少ししたら、看護師と共に別の部屋に移動。

触れ合いルームで話すことも出来たが、他の人が来ることも考慮して

小さい部屋を用意してくれた。

そこに父・母・兄・子供呼んだ。

医師が来た。

旦那にも電話を繋いだ。

そして医師の説明が始まった。

紙に文字を書きながら分かりやすく説明してくれた。

「今回の病名は急性骨髄性白血病です。白血球の値が健康の人の約20倍あります。これはガン化した血液です。今後の治療は、早速ですが明日から抗がん剤を投与していきます。抗がん剤による副作用はこちらでがあります。、、、、、」

とにかく、分かりやすく丁寧に教えてくれた。

医師:「質問はありますか?」

私:「この病気になった理由は何ですか?」

医師:「正直これという理由はないんです。また出産を経験しているなら胎盤で血の検査などあるはずだから、発症もここ数ヶ月かと思います。」

私:「今後はどんな予定で治療をしていきますか。」

医師:「まず最初の1週間で抗がん剤を投与し、3.4週かけて免疫をつけていきます。その他の治療はその都度血液の状態や体調を診て判断していきます。」

私:「分かりました。」

それ以上質問は出てこなかった。

他の人も質問はなく、話はこれで終了。

これから会えなくなる子供を膝にのせて、ギュってして。。。

ただ、これから1ヶ月入院なんだ。子供に会えないんだ。という寂しさと

何より副作用に『不妊』があったのが凄く悲しかった。

話が終わって部屋に戻る時、子供は奥には入れない為、兄に連れられ1階へ。

エレベーターを待ってる姿を最後まで見てました。

車椅子に乗りながら少し泣きました。

部屋に戻る時、

母に「泣いてもいいんだよ。でも、母は強しだよ。」って言われました。

母も乳ガン経験者で、抗がん剤治療もやっているし、子供と離れるのも経験しています。

母のこの言葉は凄く強さを感じました。そして姉と言っていることも一緒だなって。

病室へ戻り、父と母は荷物を整理してくれて、少し雑談して

父・母:「じゃあまた来るからね。何かあれば連絡してね。バイバイ。」

長い一日がやっと終わりました。

しかし、私はここからが地獄。病気になって悲しいというよりは

体調が悪い、そして何よりおっぱいが痛い!

朝から検診に来ており、ずっと授乳していない。

おっぱいがガチガチ、熱を持って、酷い乳腺炎になってました。

保冷剤をもらい、看護師さんにおっぱいを絞ってもらい、

今まで搾乳を手伝ってくれてた看護師が勤務終了の為、他の看護師を連れどうやって絞るか教えて。

もう恥などなかったです。

服も着替えが出来ないくらいでしたがどうにか着替えて、歯磨きもして寝る準備。

夜も熱がずっと出ていため中々寝れず、寝て起きての繰り返し。

抗がん剤はないものの点滴はずっとしていました。

そして、朝がきた。

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